2015年10月発売予定- TSM144333 & TSM144334




1991年日本グランプリは1991年F1世界選手権第15戦として、1991年10月20日に鈴鹿サーキットで決勝レースが開催された。ホンダは母国グランプリに向けて「鈴鹿スペシャル」エンジンを投入。ゲルハルト・ベルガーが1分34秒700のコースレコードを記録してポールポジションを獲得し、同僚のセナが2位に並び、マクラーレン・ホンダにとっては最高の予選結果となった。決勝レースは53周で行われ、ドライバーズポイントランキングの1位になる為に優勝するしかないマンセルがスタートダッシュを狙ったが、フロントローのマクラーレン2台によって動きを牽制され、1位ベルガー、2位セナ、3位マンセルの順のまま1コーナーに突入した。マクラーレン勢は役割を分担し、セナがマンセルを後方に封じ込め、その間にベルガーが逃げるという戦略をとった。セナはエグゾーストパイプ破損というトラブルを抱えてペースを落としたベルガーを追い上げ、18周目のバックストレートでかわしてトップに立つと、そのまま独走態勢に入った。最終ラップに入り、そのままゴールするかと思われたが、シケインを過ぎた最終コーナーで突如ペースダウンし、ベルガーが再逆転してトップチェッカーを受けた。レース前、両者は「1コーナーをトップで通過したものがそのまま先に行く(優勝する)」という約束を交わしており、セナがこれを守ってベルガーに勝利を譲った。その行為に賛否両論はあったが、セナは「ドライバーズタイトルを取るためにサポートしてくれたベルガーに対しての感謝」と主張したのであった。

 

 

 

2015年10月発売予定